日の本、我ら平和ボケの民なり。~シン・ゴジラとバビロニア~

今回は逆にFGOユーザー(ファン?)を褒めてみようと思う。

12日、「シン・ゴジラ」が地上波初放送との事をその日、全てが終わって帰宅してから知ることになった。Twitterのトレンドが「第五形態」「内閣総辞職ビーム」やら、色々で埋め尽くされていた。「何のこっちゃ?」と思い調べてみるとどうやら、「シン・ゴジラ」の内容に関係したワード達らしい。去年タイミングを逃して、そのままだったので、これを機に観てみました。

 

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鑑賞後の感想

 

阿保人間しかいないのだろうか?

 

 

 

全ての人達がそうでない事は知っているし、所詮SNSとも思いたい。中には驚くような着眼点の人だっていました。有名(?)AV女優のレビューが凄いとの事で、覗いてみたら、素晴らしかったです。正直「ゴジラ」って事だし、わざわざボクが何か言う事は無いとも思った。まぁでも、思ってしまったし、悪いけど角度も論点も着眼点も価値観も違うので書くことにします。

 

どっかの企業が「弊社のビルがあぁ」だの、やれ京急線攻撃?だの辞職ビームやらラストシーンの意味は?とかで盛り上がってて悪いんですけど。

皆、危機感は無いのだろうか?いや、あるわけ無いんだけど、あの作品を観ても無いのかと。平和であることは良い事だけど、それにボケてるといつか自分が画面の中の地獄絵図のエキストラになり得る可能性が0ではない事を直ぐに忘れやがる。

Twitterに「震災後、どんなに絶望的な状況でも、頑張ればなんとかなると元気づけられた作品です。」

他人ごとじゃない人にはこう映るのだ。震災にあったわけでもなく、分かったような事を言うべきでは無いし、ここまでヘヴィに捉えろとは思わない。

が、テーマは何かまたしてもずれてやがる。

 

見知った、東京や神奈川の街が凄い勢いで壊して行くゴジラと間抜けな日本政府やら自衛隊が必至に戦うわけだが、別にゴジラじゃなくてもいい話であって、災害でも日本は同じ様な状況に、というか今までそうだった筈でろくに対応出来るわけないのだから。ローションマットで足引っ張り合ってんだから、そんな奴ら当てにする気など、はなっから無いと思っているのは少数派だろうか?鑑賞中、「オレなら、馬鹿正直に交通機関や車ではなく、自転車、バイク、或いは徒歩で東京から離脱した方が早いだろうか?」「いや、あくまで一都民としてどのタイミングで気づくかにもよるよな。避難勧告が出た時点で遅いよな。」「立川から30km!?冗談じゃねぇよ」とか考えてたわけだけど。まぁ潔く死ぬしかねぇな(笑)

 

あの映画は、ただ、ゴジラだっただけだ。今回面白かったのが、完全人間視点で描かれていた事だろうか。今まで観てきた「ゴジラかっけー!」「すげー!」的な作品ではなかった。あくまで人類にとっての「脅威」として描かれていた。

 

要するに平和ボケしてんだ。他人ごとだけに、災害や事件に巻き込まれるなり。いざ身近にそれらが起こって初めて「命」を感じるらしい。あほか。普段生きてねぇのか。

約2週間たった座間事件。どれ程の人間が意識しているだろうか?

ゴジラより隣人が脅威となる可能性がずっと高いし、ずっと恐ろしくはないだろうか。

今回、「ゴジラ」を扱ってそれらや、「命」を教えてくれる作品だったと思う。

例えばゴジラがビームを吐いたり出したりすると、東京の放射線の数値がどんどん上がったり、今までのゴジラの吐く放射能でビルと他の怪獣が吹っ飛ぶだけ(勿論細かい話もあったけれど)とは違い、リアルに怖かった。

最終的に米軍の核攻撃でしかなんとかする方法がなくなった時、竹野内豊演じるお偉いさんが「米国側はNYでも同じ決断をすると言っている。」と言うシーンがある。

発言の真偽は定かでは無いが、信じてみるとして。決断力の違いは「平和ボケ」ではなかろうか。

正確には覚えていないが、「我が国は最早、他国の支援無しにやっていけない」等、ゴジラを倒した先の今後を思わせるセリフや描写。

戦後の日本じゃないけれど、恐ろしくこの作品の日本は強くなるんではないかと思った。例えば、この時5歳位だった少年が大人になった時、こっちの我々現代人よりずっとパワーのある大人に育つように思う。そういうエネルギーが足りない、弱くなってる事に気づいてもいいような気がする。例えばボクは40代後半から上の世代が基本的に大嫌いだが、ガッツやエネルギーだけは認めている所もあり、日常的に悔しくなる。

 

さて、しかしこれもテーマや作品のメッセージなのかと言えば違うような気もする。正直な所、悪いけど、どんな作品観てもこれ位は感じろと言っておきたい。

 

じゃあ、何か。

これである。

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ラストシーン、何とか凍結に成功したゴジラの尻尾である。

今回のゴジラはどんどん姿を変えていくのだが、最後に無音で意味有り気にこの尻尾が映されて終わる。

どうやら最後は人型に変化し無数のゴジラに襲われる事になる一歩手前だったようだ。

なぜ人型なのか。人間が一番恐ろしいという意味では?。神様がどうのこうの。

色んな感想があったが、物凄くどうでもよかったです☆

そもそも考えてみて欲しい。

庵野監督に造らせたのだ。そりゃあこうなるだろう。何描いたって「エヴァ」だよ(勿論良い意味だ)。今回だって、使徒vsネルフと何が違っただろうか?

要するにそういう事ではなかろうか。

 

さてタイトルのバビロニアと、fgoユーザーを褒める話。

去年12月リリースの第七特異点「絶対魔獣戦線バビロニア

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分かりやすく言うと「シン・ゴジラ」らしい。確かにそんな感じだった気がする。

まぁ、剣豪が叩かれこのシナリオが炎上しなかったのは単にクォリティだろうかと思いたい。しかし、どの話もそうだけれど、命の尊さや人は未来を築いていく力を誰しもが持っているというテーマをちゃんと受け取って、それに感動している人が多かったように思う。まぁ、キャラゲーでそれさえも感じないならば、そもそもコンテンツとして終わっているが。

どの話もというのは、Fateシリーズで大切にされているのが「英霊との別れ」だからだ。

今や(笑)をつけてやりたいような要素だが、私怨は置いておこう。そして惚れてしまった方の負けというヤツである。

兎も角、一年前、これに関して我々は

 

ブレていなかった。

-fin-